立川吉笑第一回公演「長屋の花見」

落語は大学の授業で履修していたものの、いかんせん不真面目な学生だったため、基本的な用語をなんとなく、有名な演目をいくつか知っているという程度。そんな自分が初めて自分の落語の公演に足を運んでみた。立川吉笑に関しては一度音楽イベントで「ぞおん」という演目を観たことがあったのと、Twitterなどでも評判を耳にする機会もあったので、ちゃんと観たいなーとずっと思っていたのです。結論から言うと、かなり大興奮で会場を後にしました。

自分が一番興奮したのは最後に観た演目「明晰夢」。暇を持て余している2人の男が町で出会い、片方の誘いのもと連れ立って落語の寄席に行くという内容。前座が登場し、始まった彼の落語に2人が耳を傾けていると、その話は暇を持て余している2人の男が町で出会い、連れ立って落語の寄席に行く”というもので、どこかで聞いたことがある話が語られる。

そう、最初の男2人のやりとりが“落語のなかの落語”として、そっくりそのまま登場してしまう。話が進むと、当然、落語内落語のなかでも、また新たな落語が始まってしまうわけで…。つまり同じやりとりが延々とループされる構造になっている。この時点でめちゃくちゃ面白くて感動。ジャルジャルの「一人漫才」というネタを思い出した。

漫才のなかで、福徳が医者と患者のやりとりを一人でやりたいと言い出し、一人二役で両者を演じると、またそのなかでもまた俺は一人やりたいと言い出し、それがずっと続くというマトリョーシカのようなネタ。

落語はそのループ構造に気づいた2人が会場を飛び出し「これはおかしい」と寄席に誘った男を問い詰めると「俺たちは落語のなかの人物であり、演者が“やっぱり寄席はよせばよかった”と下げると、2人の命もそこで終わる」と告げられる。

ちなみにこの単独公演会でほかに披露された「桜の男の子」は夢のなかで見た夢の話という、まるでインセプションのようにいくつもレイヤーが重なった演目になっていたり、「一人相撲」は前座、二枚目、真打といった落語の世界の階級についての言及ととれる話が繰り広げられたりとメタ的な演目が多く見て取れた。

明晰夢」の後半では、演者に落語のオチである「やっぱり寄席はよせばよかった」、逆にこれを言わせなければ、永遠の命を手に入れられると気づいた男が、その下げに入らないようと努力するわけなのだが…。

この「明晰夢」が特に優れていると思ったのは、演目のなかに「この演者が〜」と、このように話を演じている噺家自身に言及する部分があるところ。いま落語を映像化する「落語THE MOVIE」という番組も放送されているけれど、「明晰夢」は話の構造上、落語というフォーマットでなくてはならない表現できないネタであると感じた。落語の奥深さにうーむと唸った公演でした。「現在落語論」もいち早く読まなければ! 

現在落語論

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